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人の死 

最近まったく記事を書かずに、メールを何通かいただいた。まだまだ学生やっていますし、卒業していません。

最近これまで以上に人間の生死について考える機会があった。

ひとつひとつは単純なニューロンが大脳で数百億個、小脳で1000億個と怒濤を組んで複雑な思考を生み出す人間が未だに信じられない。デカルトが約300年前に「我思う、故に我あり」といったように、自分も「自分」を意識して生きている。体験したことがないのに、「自分」が消えてなくなることを、本能的に恐れている。それが他人に起ころうとしているときに、本能的に持っている死への恐怖と、その人の意識がなくなることへの悲しみ、いろいろな感情がごっちゃになって絶望が襲いかかってくる。そんなことが起こったらしばらく立ち直れそうにない。誰もが乗り越えなければならないものなのだろうけれど。

昔はいやでいやでしょうがなかった法事や墓参りも、今となってはしっかりとやらなければという考えになった。こういう行事や宗教は、亡くなった人のためというよりは、現世の人のためにあるものだ。あまり、自分は非科学的なものは信じないけれども、お墓に入っている故人を思い出したり、先祖に感謝を忘れないための機会を与えてくれる。こんなことをいったらお寺関係者にひどく怒られそうだ。

前野先生の受動意識仮説に関する本には「人間は自発的に行動したことも、実は脳によって自分がやっていると思わされているから、それを悲しむよりも、割り切って人生楽しくいきていこう」というようなくだりがあった。悲しみも脳が勝手に作り出している幻想ということなんだろうか。その割には本当に重すぎる幻想だ。脳がすごいってことか。

明日からSt. Louisへ学会に行ってきます。まずは自分を立て直さないと。
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Boze 

ぼくの所属する研究室の真上はちょっとしたアートギャラリーになっていて、数ヶ月ごとに展示されるものが変わる。その展示物を入れ替えるときに簡単な工事がよくあるのだけれど、そのときの騒音が本当にうるさい。そのため、最近tenureをとって浮かれているアドバイザーは人数分Bosequietconfort3を買ってくれた。その性能は本当に驚くべきもので、工事の真下で働く人に取っては書かせない物になったとさ。

そのBoseとは全く関係ないのだけれど、1ヶ月ほど前に坊主になった。ずっと長めだったのだけれど、「あ、坊主になったらどうだろう」と思い、バリカンを用意して友達にきってもらった。野次馬的にあつまった人とうちの部屋でわいわいやりながら刈ったのだけれど、刈った当時はまだ外は寒く、ニットの帽子をかぶらずに外を歩けなかった。

Before
before.jpg
After
after.jpg









刈った直後はさすがに5mmはやりすぎたと思ったけれど、触った感触の気持ちよさとか懐かしさとか考えるとやってよかったかな。誰かに、「どうせ抜けてなくなるのだから、いまやらなくても。。」ともいわれた。それでも、体も少し軽くなった気がするし、バスケをやっても少しドライブが鋭くなった気がする。いまは少しのびてしまったけれど、これからしばらく坊主を続けようかと思ってます。

どうかよろしく。

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文房具 

知り合いが文房具について記事を書いていたので自分も書くことにした。

自分はかなりの文房具好きであると思う。数万する万年筆やボールペンが好きな訳ではない。外食で例えるとB級グルメ的で手軽に使える文房具が好きなのだ。研究を進めるにあたり、自分は研究ノートを奇麗につくるほうであると思う。いままでいろいろなペンをつかってきたけれど、ここ数年はボールペンをつかってノートをとるようになった。アメリカに来てからはいい店がないのであまり買っていないけれど、実家に帰るといつもいく文房具屋さんがある。インクという店だ。ここは非常にアクセスが悪く、車でないと行けないけれども、いままでいった文房具屋さんでも、ここほど品揃えがいいところはなかなかない。

これまでも何度も足を運んだ店だけれど、前回の帰省でこの店の専務が兄の知り合いであるということがわかった。早速挨拶がてら行かなければと思い、買い物に出かけた。そのとき知ったのだけれど、自分だけじゃなく、自分の兄も親も文房具好きであるということをしった。遺伝って恐ろしい。

専務もやはり文房具マニアでいろいろな物を進めてくれた。

まずはシャープペンについて。現在日本では三菱鉛筆のクルトガという品物があるということを教えてくれた。シャープペンを使っていると、通常の芯の先が平らになってしまう。クルトガは芯をくるくると回転させることによって、芯の先が常に使いやすい形状を保つというものだ。これにナノダイヤという固い芯を使えば、最強であると教えてくれた。さらに消しゴムはサクラクレパスのフォームイレーザーダブル。残念ながら、シャープペンを使う機会がなかなかないのでこれらの組み合わせを試したことはまだない。

ボームペンについては、ゲルインクでいいものはないかと聞くと、ある一本のペンを持ってきてくれた。おれはこれまでにいろいろなゲルインクのペンをつかっていたけれど、色の違いがあるものの、書きごこちについては、あまり大差がないと思っていた。アメリカに来てからは、PilotのG-2を愛用をしていた。学内の店でも手に入りやすかったからだ。数年前に日本にかえったときには、ZEBRAのsarasa clipを気に入って、大量に買って渡米した。そして、今回専務に勧められたのはPentelのEnerGel。これはいままでにない滑らかな書き心地とペン先から描かれる奇麗な線にすっかりほれこんでしまった。いまではこれが自分のメインツールになっている。

もう一つ教えてくれたのがPilotのフリクション。このペンで字を書いた後、ペンの後ろにあるゴムの部分で文字をこすると、不思議なことに文字が消えるというもの。実際は字が消えるというよりは、摩擦によって引き起こされる温度変化によって、インクが見えなくなるというものだそうだ。最初はおーーと思ったけれど、結局使い心地のいいEnergelに落ち着いたので、フリクションはアメリカにいる友達のお土産にした。意外と好評だ。


pens.jpg
ここ数年に使ってきたボールペン。自分には0.7mmがいいらしい。

pencase.jpg
今使っているペンケース。

みなさんはどんなペンつかってますか??

日本の文房具最強説

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沼津東高校 on Wikipedia 

最近友人たちの集まりで、男子校出身者が持つ独特な劣等感と、共学出身者が経験する、共学だとしても結局はもてる男ともてない男がいるという現実についての話題がでたときのこと。

自分の高校でのフォークダンスの話題がでたときに、自分の母校のことを話す機会が会った。今では男女比が1:1だと聞いているけれど、当時は圧倒的に男子の方が多くてフォークダンスをするときには、一部の男子が女子の役をやり、一曲終わって相手が男子だったら、男女の役を変わらなければならないという決まりがあった。

これは自分が高校生のときにもあったことで、一年前にWikipediaで母校を調べたときには、男子が男子と踊っている部分をブラックゾーンという名前で紹介されていた。このことだけではなく、Wikipediaのページには沼津東高校の説明が事細やかに紹介され、少なくとも内輪の人にとっては懐かしいことや自分の知らなかった歴史を知ることができて、初めて見たときには本当に楽しませていただいた。

そして、最近また同じページを見てみると、内容の大部分がなくなっていた。ノートをみてみると、百科事典にはふさわしくない内容を削除したとのこと。たしかに、内容は冗長だったかもしれないし、いらない情報まで記述されていたかもしれない。でも、あの内容が消されてしまったかと思うともったいないようが気がしたのでここに残してみた。

しかし、確かに長い。。。。

Wikipedia
静岡県立沼津東高校のページの2007年8月22日 (水)の履歴より転載


静岡県立沼津東高等学校(しずおかけんりつぬまづひがしこうとうがっこう)は静岡県沼津市にある静岡県立の単位制の高等学校。旧制沼津中学。地元では「ぬまとう」と呼ばれる。単に「ひがしこう」とも。全般的に在校生や卒業生などの関係者が「ぬまとう」と、それ以外の人が「ひがしこう」と呼ぶ傾向にある。全日制普通科、理数科及び定時制普通科が設置されている。
目次
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* 1 沿革
* 2 主な行事
o 2.1 入学ガイダンス
o 2.2 対面式
o 2.3 承認式/応援練習
o 2.4 香陵祭
o 2.5 海浜教室
o 2.6 高原教室
o 2.7 勉強合宿
o 2.8 若人の家
o 2.9 全校読書会
o 2.10 遠足
o 2.11 マラソン大会
o 2.12 球技大会
o 2.13 ボート大会
o 2.14 自治会・応援団
o 2.15 部活動
o 2.16 行事
o 2.17 校舎・施設
* 3 著名な卒業生
* 4 関連項目
* 5 外部リンク

沿革

* 1901年 - 楊原村上香貫(沼津市御幸町)に沼津中学開校
* 1946年 - 夏の甲子園出場
* 1948年 - 新制の沼津第一高等学校に改称、定時制の課程設置
* 1949年 - 沼津東高等学校に改称
* 1967年 - 沼津市岡宮に移転
* 1996年 - 全日制が単位制に移行
* 2001年 - 創立百周年記念式典挙行

主な行事

入学ガイダンス

3月末に、合格発表および中学校の卒業式の後、入学式前の春休みに行われる。保護者とともに出席し(2007年は4月2日に生徒のみで行われた)、体育館で教務課と生徒課(ともに職員の組織)の説明を受ける。入学直後の実力テストの件や部活動加入の件が主な内容となる。その後保護者と新入生は別行動となり、新入生は教室で自治会役員からの説明を受ける。ここで校章や承認式まで身につけることになる胸章を受け取る。その後体育館に戻り、自治会三役(代議委員会・執行委員会・司法委員会の委員長)の説明を受ける。

対面式

入学後に行われる新入生と上級生の対面の儀式。上級生が並んで作った道の中を新入生が通る。その際に長髪の者や装飾品の類を身につけている者は胸倉をつかまれ、絞められる。静岡県東部の中学校男子生徒はほとんど校則により短髪である一方、沼津市立第一中学校(一中)は髪型自由であった。そのため上級生に目をつけられる一中出身者が多かった。ちなみに、誰かが捕まるとそこで行進が停止するため対面式の入場行進はえんえんと続くのであった。後述の通り東高の生徒は部単位で行動することが多く、しかも運動部はイベント時にその競技の運動着を身につける習慣があるため、柔道部や空手部は道着姿に下駄、剣道部に至っては竹刀持参でにらみをきかせる。そのため予備知識のない新入生は非常に怖い思いをすることがある。


承認式/応援練習

新入生が上級生により沼東生と承認する行事。新入生には、それまで朝の挨拶、昼休みと放課後に校歌およびすべての応援歌の練習への参加の義務が課され、香陵会館(食堂)の使用、下駄履きが制限される。また胸に新入生は胸章がつけられ区別される(1990年代中盤以前においては、胸章はなかった。ちなみに胸章は承認式後に回収されたのち自治会室で保管され、翌年以降も繰り返し使用される)。また同時に、自転車での通学も禁止されるため、毎年4月の入学式からの約1ヶ月間は、岡宮方面を通る朝のバスは、新入生で混みあう。バス会社は「かきいれ時」だが、遠方からの通学者と他の乗客にとっては少々迷惑な、春の風物詩である。またこの応援練習によって部活動見学ができないため同学区の公立高校などに比べ、約1週間ほど新入生の部活動の開始が遅くなる。

承認式において、全上級生を前に校歌応援歌を歌い、承認を受ける。この儀式の最後に「脱章!」の掛け声とともに胸章をはずして空に投げ沼東生となる。応援歌が歌えないと練習時に生徒の前に出され、放課後屋上で応援団の指導を受ける。屋上での応援練習では、男女の区別なく裸足となり、歌えないとその場で屋上のコンクリートの上に正座させられる(現在は体育座りになった)。練習が終わって屋上から降りてくる新入生は足がしびれてふらつき、まっすぐ歩けないため、互いにぶつかり合って酔っ払いの集団のようになっている。信仰上の理由から応援歌を歌うことが出来ないという者が出現したことがある。応援団はずいぶん苦慮した模様である。また、生まれつきの音感欠如(いわゆる音痴)の者がいて、歌詞はすべて覚えているのに歌にならない、歌詞を覚える以上の苦労をしたらしい、この指導に応援団は七転八倒したという伝説がある。

ちなみに応援歌の練習では応援団が非常に怖い。歌詞を間違えたり声が小さいと怒鳴られる。応援団は人数が限られているので、応援歌の練習では3年生の有志を募った(現在は応援団のみでの指導)。彼らはそれぞれが沼東生かくあるべしという自分なりの基準で1年生に接するため、場合によっては応援団以上に怖れられる存在である。これも緊張を強いられる面がある。多分、昭和の時代までは程度の差こそあれ男子生徒の多い高校では類似した現象がみられた。沼工(沼津工業高校)などに比べればあれでもソフトなほうだったという。いきなり昼休みに放送が入り、「応援団より連絡する。1年生は全員靴下を脱ぎ、服装を正して体育館(屋上)に来い。全力で来い」と言われる。初日には1年の中に応援団をなめて歩く者もいるが、そんなことができる状態ではなくなる。2年の応援団が怒鳴り1年生を急かす為、言葉に偽りなし、放送どおり全力疾走である。2日目以降、知恵がついた1年は怒鳴られないよう放送が入る前に行動を始めるが結局怒鳴られるのであった。このため応援歌練習後もしばらく1年生は放送と下駄の音に過剰反応してしまう。平成16年度、応援歌の練習で4名が骨折。数年にひとりくらいのペースで、この応援練習のあまりの厳しさにショックを受け、入学早々退学してしまう新入生がいる、という噂がある。

平成17年度から前年度の骨折を受け、正座ではなくなった。だが、寒さにより体調を崩すものが続出。またこの学年は練習時の合格者が少なかったことから承認式が金曜日から月曜日に延期され、異例の追練習をやった。しかし、前代未聞だと罵られた17年度新入生にとって少々悔しいことに、翌年からは承認式の予定日自体が月曜日になった。

平成18年度の応援練習では応援歌を間違えたものを座らせていき歌いきったものだけをあつめて指導するという方法がとられた。このため初日は脱落者が多く、歌詞を覚えているものでも一人で歌うことを恐れてわざと間違えたりしていた。しかし、実際、不合格になる人が大多数だった状況の中で、週の前半や初日にごく少人数で合格することはきわめて困難であり、達成するためには春休みからの周到な用意が必要である。毎年承認式までに応援歌練習に合格できず、胸章が空を舞う様子を体育館の隅で見ているはめになる新入生が20~30人前後いる。

ここまで新入生は理不尽な思いを受け続けるため、現代において続けるのが厳しい行事であり、存続については賛否両論ある。ただ、多くの卒業生にとっていい思い出となっているのも事実である。

しかし現在では応援団が恐れるような存在ではなくなったため、特に恐怖を感じることもなくサボる者もいる。

香陵祭

毎年5月に開催される文化祭と体育祭及びその前夜祭・後夜祭。毎年、生徒の手によって、香陵祭の記念歌が作られる。香陵祭前は応援団を中心として、張りぼて作りに大忙し。近年、ハリボテ製作は応援団からハリボテ係へ移行した。

* 前夜祭

クラス対抗の障害物競走「ガチャピンレース」(「ガンバルマンレース」)など

* 文化祭

体育館では、講演会、吹奏楽の演奏、音楽部のミュージカルなどが行われる。初日の講演会と2日目の吹奏楽の演奏は拘束時間と呼ばれる。校舎では、文化部の展示や舞台がある。中庭では、Missコン(Mr.レディーコンテスト)やのど自慢、未成年の主張など独自性のない催しが行われる。応援団1年生やイベント好きな上級生のいる部活の1年生は、未成年の主張で、愛の告白をしなければならない。ほとんどがやらせという言葉を武器に、男子生徒たちは本気告白をする。主張では司会が無茶ブリをされ、告白させられてしまう。第60回香陵祭の司会者は張り手をされ、また女子をお姫様抱っこして逍遥の森へと去っていった。
※硬式テニス部が「ウィンブルドン」なる模擬店を出す。1年生は売り子や出前にかりだされ、展示やステージ企画を見ることがほとんど出来ない。女子は浴衣を着用するなどして、男にはたまらない企画でもある。

※上級生による金銭の横領などの問題により第60回香陵祭では出店されなかった。

※かつては「香陵ラーメン」という名物があった。ごく普通の醤油味ラーメンだったが、食料事情の悪かった時代にはたいへんなご馳走だったらしく、懐かしく思い出すという人も多い。当初は市内の専門店で修行した者が作ったラーメンで評判がよかったものの、次第に味がおちたらしく知らない間になくなった。衛生管理の面で問題が指摘されたのかもしれない。2001年に、百周年記念の一環として、「百周年記念事業特別委員会」による香陵ラーメンの再現が行われた。現在は市販品を中心とする軽食や飲みものになっている。女子生徒が大勢でかいがいしく面倒をみてくれるので、古いOBにとってはなんとなくうれしい状況である。

* 体育祭

部活動ごとに紅白にわかれて対決する。巨大な張りぼてと応援合戦が見物。
※部単位の紅白分け。人数調整のため毎年多少の変動があるが、戦力均衡を考慮して運動部は基本的に固定している模様である。(白軍=サッカー部、柔道部、水泳部、バスケット部など。紅軍=野球部、剣道部、陸上部、バレー部、空手部など) 又、3年応援団の部活も組分けの大きな要素である。これで結構いい勝負になっていた。空手部員は競技中に技の使用を禁止されていた。しかし騎馬戦の競技中は、空手部員の蹴りに見舞われるのが恐ろしい。棒倒しの競技中に柔道部員の背負い投げにあった者もいる。

※体育祭用の応援歌が紅白ごとに存在し、香陵祭前に応援団を中心として練習が行われる。しかし応援団の指導が入学直後のそれほど厳しくなく、また完全な口伝えのため明確なメロディラインの把握が困難なこともあり、多くの生徒は完璧には歌えない。とりわけ上級生の応援歌に対するモチベーションは低く、2003年にはこうした状況を憂いた応援団が体育祭の応援をボイコットするという事件も発生した。しかし、このボイコットがきっかけで応援団の存在意義などが改めて問われ、応援団は、より確立した地位を築いてゆくことになった。
※近年は騎馬戦で不正行為(暴力や騎馬の再結成)が毎年問題となる。大抵各軍の大将同士の一騎打ちで勝敗が決せられる。

※張りぼての制作は地区会(注)ごとにやっていた。香貫の旧校舎時代に、人工衛星かなにかの張りぼてで、花火を組み込んでの演出をしたところ、本番でこれが炎上。それ以来、火気厳禁となった。いつのころからか張りぼての数が減って現在は紅白に一体ずつとなっている。昔は、香陵祭の準備期間中、校内のいたるところで張りぼてに使う糊の匂いが漂っていたそうだ。糊は小麦粉を水に溶いてバケツなどで煮立てたものだったので、日にちをおくと饐えたような独特の匂いがする。多くの卒業生にとって郷愁をさそう匂いである。現在はでんぷんのりを使用している。::(注)地区会‥出身中学/出身地域ごとの学生会。前述の応援練習では容赦なくダメを出す怖い上級生も、地区会では応援歌を教えてくれる頼りになる先輩に変身する(こともある)。

* 後夜祭

フォークダンス、応援団の解団式、ハリボテ着火、打ち上げ花火、スライド上映など。

フォークダンスは、年頃の少年少女たちにとっては、大変楽しみな催しの一つである。また、ハリボテの燃える姿は、涙を誘う。

※やぐらをたて、その上で数人が後夜歌と称した流行のJ-POPなどを歌う。人気歌手のライブ並に生徒のテンションは上がる。やぐらに陣取るものはたいていお調子者の3年生や係りの者、部活からの先輩命令をうけた1年生、応援団1・2年である。毎年注意されてもやぐらから飛び降りる者、服を脱ぐ者がいる。このときは流石に先生方も大目に見ているようである。
背中に字を書いて上裸になるもの、パンツ一丁になるもの、ズボンをおろして女子生徒の後ろで腰をふるものなど、年を経るにつれて過激さは増している。青春の一ページに刻まれる思い出とはなるだろうが、女受けは最悪である。


※応援団の解団式は、夕暮れ時に行われるが、雨天決行が基本。どしゃぶりのなかで大声を張りあげてのセレモニーとなった年もあった。解団式では3 年生の応援団員がたいまつを両手に持って語る。だんだんと暗くなり、団長が語る頃にはムードは最高の状態になる。この姿に涙する女子生徒も多い。

最後に祭典委員長(香陵祭の運営の中心になる人物)が閉会宣言を行うが、このとき自らの不甲斐なさを告白すると「そんなことないぞー」と野次(声援)が飛び、「第○○回香陵祭を閉会します」の「閉会します」の前に全校生徒が「言うな!」と叫んで毎年閉会宣言まで辿りつくのに時間がかかるのが恒例。何とか閉会宣言した後は、仕掛けられた打ち上げ花火が揚がる。祭典委員長は応援団や他のメンバーに胴上げされる。なお、こういう「青春真っ只中」な状態に興奮して愛の告白を行う人も少なくない(通称香陵マジック)。逆にこういう状況を嫌悪する一部の生徒は、早々と帰宅して塾にいたりする。

海浜教室

1年生の夏休み前に開催される行事。2泊3日で伊豆半島の伊豆市(旧土肥町)で泳ぐ。最終日には数キロの遠泳が行われる。遠泳のあとに牛乳と漉し餡の串団子が支給される(18年度、19年度の海浜教室では牛乳は支給されず、団子と甘露飴であった)。

※学校創立当時の校則に、「本校生徒は全員水泳部に所属する」という一文があった。これは夏季水泳部と呼ばれていたもので、競技としての水泳を対外的に競うものではない。当時から生徒の基礎体力を養う上で水泳が奨励され、浜水泳が行われていた。海浜教室はその延長線上で現在も続いている(なお、対外的な競技をする水泳部はその後大正期に発足している)。

※海浜教室にも水泳指導のためにOBが助手として呼ばれる。水泳OBだけでなく、商船大学や水産大学などに進んだ泳ぎの達者な者が中心である。助手には生徒とは別の宿舎が用意され、学校から支給されたビールなどで毎晩宴会の状態となるのが常であった。それでも日中は生徒の先頭に立って水泳の指導をする使命があるので、体力勝負の仕事である。誰にでもつとまるというものではない。遠泳の先頭も助手がつとめる。最近は女子生徒が多くなったので助手も女性が増え、赤ちゃん連れで助手の助手を務めるような人も出現、ほほえましい光景も見られるようになった。

※2002年に台風の為に中止されるということがあった。海浜教室が中止されたのは今のところこの一回しかない。 海浜教室に限らず、本校においては「雨天中止」という言葉は基本的には存在しないようである。

※応援団のコント、バンド、フォークダンスなどがある「若人の集い」と呼ばれるイベントや、自由時間など、水泳訓練のない夜も楽しみな事がたくさんある(夜の方が楽しいという生徒も少なくない。)またこういった時間帯に気持ちが高まった生徒が、好きな異性を呼び出して愛の告白をする「海浜マジック」が毎年多発している。

高原教室

2年生の夏休み前に開催される行事。修学旅行は行われないため、事実上この行事が修学旅行の代わりとなる。静岡県内では沼東高と静岡県立富士高等学校にのみ存在する。

4泊5日(以前は5泊6日だった)で長野県の志賀高原の山々をおそろいの帽子を着用して登山する。初めて見たときには被るのを躊躇するような代物であるが、山から帰ってきたあとは、一生の宝物となる。しかし平成19年度の高原教室では帽子の製造会社の倒産により伝統の帽子をかぶらずに登山することになった。一般の登山者の倍くらいのハイペースで3日間登山するという行事だが、きれいな山や湖の景色と疲労の充実感で意外と生徒の評判はよい(普通の修学旅行の方がいいと思う者も少なくないことも付け加えておく)。ただしこの時期は梅雨の真っ只中であり、雨に降られることが多く、泥だらけになりながら歩き回る「落武者の逃亡」のような、悲惨な登山になることもある。しかし、雨の中、水を滴らせながらも、若い男女が励まし合いゴールを目指す姿は、微笑ましいものでもある。そして、なによりも、普通の修学旅行では味わえない満足感を得られるだろう。過去には、山岳部が夏の合宿前の訓練をかねてザックに缶ジュースを何ケースか担ぎ上げて、岩菅山山頂などで販売したこともある。

そして平成19年度は裏岩菅山に「外周ばあさん」が出現したとの情報が入っている。

ちなみに野球部は夏の甲子園の予選前なので基本的に参加しない。代わりに1年の冬にスキーへ行く。他の生徒が山へ行っている間、野球部は一所に集められ「自習」が行われる。

生徒のほかに卒業生からなる医師も2、3名が同行する。

深いガス(霧)のなかを互いに声をかけあって進軍するという、ひとつ間違えば遭難かという状況もしばしば発生する(実際に、万一の事態を想定してチョコレートなど非常食になるような食べ物を各自が分散して持ち歩く)。まるまる4日間かけて一帯の山々を制覇し続けるので、地理に詳しくなってしまうこともある。なお、比較的自由時間が多く、香陵祭同様、自分の思いを異性に伝える生徒が毎年いる。

勉強合宿

毎年8月の後半に1、2年生を対象に、御殿場にある研修施設で行われる。御殿場で行われるのは「涼しい環境で勉強に集中する」ということらしい。1 年生の勉強合宿はほとんどの生徒が応募するが人数制限があり(約150名)、定員を超えた場合は成績で上位から参加者を決定する。2年生は応募者が少ないこともあり、ほぼ希望者全員が参加できる。研修施設に缶詰で、午前中に講義、午後は自習、夕食後も自習という生活が数日間続く。

若人の家

若人の家とは沼津市の南端の大瀬崎にある沼津東高校のバンガローの宿泊施設である。若人の家部が管理する。5月ごろに1年生が行き、海岸やバンガロー周辺を清掃した後で、若人の家の歌を習う。ちなみに、例年バンガロー清掃時には悲鳴が上がる。最近あまり使われなくなったバンガローには蜘蛛の死骸などが散乱しているためである。

なお、卒業生、在校生が申請により使用できる。電気、水道、ガスコンロ完備。利用は無料。

※学校創立60周年記念事業の一環として設置された。土地の造成工事から生徒が休日を利用して行ったため、この時期の卒業生には、「苦役」の思い出がつよい。部ごとに予算を与え、バンガローを建設した。したがってバンガローには部の名前がつけられていた。「柔道小屋」「剣道小屋」など。しかし生徒の手づくりのバンガローは、建設現場の物置程度の出来で、床は傾き電気もなかった。ろうそくの明かりと蚊取り線香の匂いが漂う中で、一晩中語り合う機会を提供してくれる場として、またとない貴重な存在だった。現在は綺麗なバンガローに建替えられている。

※食事は当然自炊、カレーと豚汁(伝統として"ぶたじる"と読むらしい、「沼東ヨンヤ節」の歌詞にも"ぶたじる"のフレーズが出てくる)が定番メニューだったが、空手部の連中はなんとちらし寿司を作っていた。柔道部の闇鍋で、セミを食べた者は少なくなかった。

※かつては運動部の大半と応援団が夏期休暇中にこぞって「合宿」と称して利用していた。現在は利用者は少ない。 最近聞いたところでは水泳OBのグループが利用する程度。 交通の不便さなどが原因と思われる。

※参考までに、少なくとも昭和の時代までは学校行事の単位として部が中心的であった。(全員入部制)

全校読書会

夏休みの課題として、1・2年生には読書感想文が課される(3年生は受験勉強のため課されない)。教師陣が1人1冊ずつ推薦図書を挙げ、生徒はその中から1冊を選び、感想文を書いて提出する。その後その本を推薦した教師と感想文を書いた生徒で読書会が行われる。

どの本を選ぶかは完全に自由であるため、中には自分が推薦した本の感想文を誰も書いてくれない教師も存在する。また、同じ感想文を書いた生徒が他におらず、推薦した教師とマンツーマンの読書会になる生徒もいる。

推薦図書が発表された後、夏休み直前に、自分の推薦した本を読んで感想文を書いてくれるよう生徒を勧誘する教師も存在する。

近年では、ネットに掲載されている読書感想文を書き写し書き直させられる生徒が多数見受けられる。その中でも最も有名な生徒は骨折したまま松葉杖を持って出て行った。

遠足

秋ごろに遠足がある。影の薄い行事。行き先は天城山、箱根、丹沢など。富士急ハイランドなどの場合も。大学見学と称して、慶應義塾大学SFC(湘南藤沢キャンパス)や横浜国立大学へ見学に行くこともあった。。また3年に1回観劇教室があり、このときは全校生徒が自転車で沼津市民文化センターへ行き、演劇を鑑賞する。

マラソン大会

1・2年生を対象に行われ、男子10km・女子6.5kmを走る行事。当初は、沼津東の立地的特性により、非常にアップダウンが多いコースになっていた。

※ほぼ同じコースを運動会でも使う(回る回数が異なるだけ)、そのときはクロスカントリーと称していた。コースの起伏といい、畑の畦(あぜ)道を走る区間ありで、実態としてはクロスカントリーに近い。近道のズルをする者が後を絶たず、要所にマーカーを立たせて掌にマジックで印をつける、トライアスロンのような処置もした。

マラソンコースを含んだ学校周辺地域にて土地区画整理事業が開始され、これに伴う工事車両の往来により路上の危険度が高まったため、2002年から(沼津地区の大多数の中高同様)千本海岸で行われている。距離の変化はなし。アップダウンはなくなったものの、強い海風を終始まともに受けるため、決して以前よりも楽になったとは言い難い。

※風邪などでマラソン大会を欠席した者も、後の体育の授業の際に同じコースを走らされるという「追マラソン」なる制度も存在する。

球技大会

毎年秋に行われる行事。その日は授業なしで一日かけて行われる。バスケットボール、フットサル、ソフトボール、バレーボール、ドッヂボール、テニス、卓球等の競技が存在。また、自分の所属する部の競技には参加できない。ほかに大きな行事のない三年生を中心に非常に白熱する。普段運動不足の三年生は張り切りすぎて足をつるものが続出。バスケは女子の声援を浴びる花形種目である。ソフトボールでは教員チームの桁外れの打撃力の前に多くのクラスが打ちのめされる。

ボート大会

春に行われる行事。古くは日露戦争での日本軍の勝利を祈願して始められたのが起源と言われているが、真偽のほどは定かではない。4人で1チームとなりボート部員をコックスとしてナックルに乗船し1対1のトーナメントを勝ち抜いていく。近年は大会そのものが行われなくなっていた。

昭和40年代までは結構盛大な行事であった。本番前の半月くらいの期間は、希望すれば練習として空いているナックルフォアとコックスを貸してくれた。漕ぎ手(出場予定者)が泳ぎが達者とわかると練習で海まで漕ぎ出した。コックスが勝手に操舵するのでなされるままであった。そういう体験者の一人であるが、辺りが暗くなった海上で、たとえようのない不安な気分になった。

自治会・応援団

* 自治会

いわゆる生徒会のこと。自治会とよばれている。戦後、新制の高等学校として再出発した際、かつて卒業生の多くが進学した旧制高等学校を意識して、生徒による自治を実現する組織ということで自治会が発足した。民主主義の基本原則にしたがって三権分立のしくみとした。代議委員会(立法)、執行委員会(行政)、司法委員会(司法)からなる。これらをまとめて「自治会三会」または単に「三会」と呼ぶ。旧制中学校時代からの校歌の一節に、「我が同胞の自治の里」とあるので、こうした自治の理想を追いもとめる気風は以前から受けつがれてきたものであろう。任期は半年であるが、期間が少し変則的であり、前期が6月から11月、後期が12月から翌年5月となっている。そのため、自治会役員はホームルーム内から選出することになっているが、4・5月にはクラス替えによって役員不在となるホームルームも存在する。役員は5月末と11月末に1・2年生の各ホームルームから選挙で選出される。代議委員と司法委員は1名ずつ、計16名が選出される。一方で執行委員はこれら2つと比べると人数が多く、各ホームルームから1~3名選出され、人数は全体では25名程度になる。

代議委員会は自治会の最高機関とされており、校則を制定できるということになっている。近年では前述のマフラーの自由化等を行った。執行委員会は代議委員会決議の執行が主な職務となっているが、実際には行事の運営が専らの活動である。特に、9月に行われる球技大会はほとんど執行委員会のみで運営される。加えて、各部活動の予算の決定や会計の管理を行うというかなり大きな権限を有する。活動内容が最も多いことと人数が多いことから、自治会三会では最も目立つ。司法委員会は生徒裁判を開く権限を持つ。かつては頻繁に裁判が行われた時期もあるようであるが、現在では全く行われていない。司法委員会が最も活躍するのは、4月の新入生へのバス乗車指導や自転車の点検であろう。また、校内に部活動等で掲示を行う場合には、掲示物に司法委員会の判子が押されていないと掲示できない。 かつては、自治会三会の委員長および応援団長は東京大学に入学しなければならないという恐るべき規則があったようである。

* 応援団

応援団は部ではなくホームルームから選出された者で編成され、自治会の執行委員会の一部であり、その正式名称を「応援団運営委員会」という。本校においては通常「援団」と略されることが多い。承認式の直後、4月に級長等の選挙を行う際に、応援団の候補となる男子生徒を4名選出し、選出された者は別室へ移動した後、団長と面接を行い、その中から1名が応援団となる。実質的には柔道、剣道、空手など(いわゆるコワモテする部)の部員から選ばれていた。現在は応援団の選出は承認式の直後に行われることから、入学直後にホームルーム内で目立つ存在となった男子生徒が選出されてしまうことが多い。上級生に対して大きな声で挨拶をする習慣があり、一般生徒からは煙たがられている。

* 応援歌が多い。

ほとんどの応援歌が旧制高等学校の寮歌の替え歌。歌詞が難しく、内容を完全に理解して歌っていたものは多分皆無。漢文の試験で「応援歌を現代文に訳せ」というのが出題されたこともある。逆に応援歌の歌詞に使われている意味不明の単語が漢文に出てくることが稀にあり、その時生徒によっては意味もなく感動を覚える者もいる。

※応援歌は楽譜がなく口伝えのため、年代によって旋律などが異なる。歌詞も多少変化している。歌詞に年数が使われているところは年代によってそれが「八十年」だったり「百年」だったりする(現在は「百年」)。同窓会やOB会で年代の異なる者どうしで歌うと、期せずしてハモッたり語呂がずれたりして歌ったあとしばらく話題になる。現在では新入生向けに校歌(N響)+応援歌のカセット(最近ではCD)が販売されている。校歌と応援歌を収録したCDは、香陵記念館(図書館)1階の同窓会事務局で販売している(定価1500円)。校歌についてはフルコーラス版、ワンコーラス版のほかになんとカラオケバージョンまで収録してある。ワンコーラスのみの校歌は、いつでも甲子園で使えるようにアレンジされたものだと考えられる。同窓会やOB会の際には会場の BGM用として貸し出しもしている。また野球応援・香陵祭のみで歌われる曲もある。ちなみに香陵祭のは早慶応援歌や軍歌の替え歌。若鷲の歌はたまに右翼の街宣車が流している。

* 式典時の校歌斉唱は応援団が指揮を行う

販売されるCDには校歌は伴奏が入った状態で収録されているが、多くの場合は応援団の指揮によるアカペラである。指揮はCDのものと比べて著しくテンポが遅く、またヘ長調からハ長調へと調も変わるため、初めてこれに接する新入生は面食らう。一方、カセットやCDの校歌に初めて接する古いOBは逆の意味で面食らう。新入生が応援団の指揮で初めて校歌を歌う対面式において、CDの速さで歌ってしまい応援団から「速すぎる」と怒鳴られるのは最早定番となっている。吹奏楽の伴奏つきで校歌を歌う機会は、入学式、卒業式以外ではほぼ皆無といってよい。

部活動

* 厚生部が存在した。

部活動を学友会ともいうが、大別して運動部、文化部、そして厚生部というカテゴリーがあった。戦後、新制高等学校として発足した当時、経済的理由で通学できない生徒が多く、この対策として、校内で営業を認められた部があった。購買部、理髪部、食堂部、清掃部などが知られている。当初は各部ともに資本金10万円で発足し、一般の事業所にならって会計処理をしていたという。当然部員に給与が支払われた。社会の安定とともにその存在意義が薄れていき、徐々になくなっていった。清掃部は全員で清掃するのが当然という風潮により廃止。理髪部はGIカットが廃れ、長髪の流行とともに淘汰された。食堂部は保健所の指導により廃止。購買部は昭和50年頃に廃止が職員会議により一旦決定されたが、生徒自治会の反対により存続となった。現在は廃止されている。現在、運動部にも文化部にも属さない部としては、先の「若人の家運営委員会」がこれにあたる。

* 部室が生活の拠点

全員入部制や習熟度別クラス編成などに関連するが、部室が学校生活の拠点となっていた。ホームルームよりはるかに居る時間が長いし、私物も部室に置いていた。朝まず部室で履物を替え、ホームルームで連絡を聞く、その後授業で校内を放浪する。大学と同様、休み時間は教室移動のための時間である。昼は部室で過ごす。午後も授業がおわればそのまま部活である。校舎一階に下駄箱があるにはあったが、自分の下駄箱がどこかを知らずに卒業するものが多かった。この傾向は運動部でことのほか顕著であった。これは、2,3年生の駐輪場が体育館の地下にあり、そこから運動部の部室はすぐ近くだが下駄箱は遠く、下駄箱に靴を置いてから教室へ行くのはかえって遠回りになるという理由もあった。ただし1年生は駐輪場が下駄箱の目の前にあるため、下駄箱を使用している生徒も多い。が、中にはわざわざ遠回りして部室へ寄ってから教室へ向かう1年生も少なからず存在する。文化部でも吹奏楽部は北校舎入り口に下駄箱があったのでそちらを使用する者が多かった。

* 王将コース/外周コース

校外を走るジョギングコース。学校を出て、グルメ街道の「餃子の王将」の前で折り返し、また学校に帰ってくるというコースである。体育のマラソン大会の練習や、運動部のウォーミングアップによく使われる。ただし近年は国道246号バイパスの延伸に伴い、学校の周辺地域の再開発計画が進んでおり、王将コースの存続にも少なからぬ影響があるものと、危惧されている。加えて、「外周コース」というものも存在する。これは王将コースのように遠くへは行かず、学校の敷地の周囲を走るコースである。とは言うものの1周約 1.5kmほどあり、それなりにアップダウンもあるので意外ときつい。こちらは通常の体育の授業の準備運動でよく使用されている。近年では、外周を走っていると応援をしてくる通称「外周ばあさん」という老人が出没する。

行事

* どんな行事にもフォークダンスが付き物。

※全校の女子をかき集めても3年生の男子より少ない時代が続いた。それでも行事ではフォークダンスがあり、必然的に男同士のペアが出現し、怪しい雰囲気であった。昭和50年代では、香陵祭のフォークダンスに参加できるのは3年生の男子と女子全学年だけで、あとは2年生の応援団員は特別に参加を許されていた。フォークダンスの間、1、2年生の男子はスタンドで「見学」していた。現在は男女比がほぼ同等なので、機会は少ないないが、若干男子の人数の方が多いため、男子同士で踊る組ができる場合もある。これを通称「ブラックゾーン」と言う。香陵祭においては、3年生にブラックゾーンができないようにするため、1年生の女子の一部が3年生と踊るようにしている。

* 花火係、歌係、灯篭係も行事には付き物。*
o 花火係:市販の花火を大量に用意して仕掛け花火ふうに点火する。木枠に小さな花火を「香」「陵」「祭」の字の形に貼り付け、速火線(火薬の入った強力な導火線)でつなぐ。その他、プロの花火師を呼んで本格的な打ち上げ花火も数発打ち上げる。空き缶をロケット花火を打ち上げる台に使うために、一人3 本の缶コーヒーを飲んで体調を悪くしたり、そのロケット花火の台が倒れて自分の方に飛んできて制服に穴を開けてしまったり、地味だが、実はなかなか体を張った仕事である。花火の湿気を防ぐための乾燥剤(海苔などに同封されているもの)は、花火係の生徒の各自宅からの持ち出しであり、係の生徒のもとには、香陵祭が終わってもしばらくは、家中の乾燥剤が集まり続ける。(経験者談)  
o 歌係:旧制高等学校の寮歌などが大半。「ああ玉杯に花うけて」「紅萌ゆる」「都ぞやよい」など、高校生でありながらヒットチャートの歌より先にこんな歌をおぼえてしまう。現在は、沼東ヨンヤ節を除き香陵祭用のオリジナル曲(海浜教室や高原教室でも、生徒の公募で選ばれる)や今時のJ-POPが流れる。
o 灯篭係:30cm四方くらいの板切れと竹の骨でできた簡単なつくりの灯篭を、これまた大量に並べて行事の雰囲気を演出する。 海や池など水面が近くにあるときは浮かべることもある。 材料の運搬から組み立て、片付けまでを考えると大変な労力である。 雨模様の時などは悲惨な状況となる。 

* 職員劇

香陵祭のステージで毎年恒例の出し物として、職員による劇があった。出し物は桃太郎的なシンプルで他愛もない内容だが、その年々の社会風俗を取り入れた演出で人気が高かった。ストリーキング(昭和40年代のおわりごろ)には、会場全体が息をのんだ。生徒はともかく、父兄まで観るなかでよくやったものである。

校舎・施設

* 広大でゆとりのある敷地

静岡県下の高等学校としては富士宮北高校に次いで二番目に広い敷地をもつ。 沼津市北部の丘陵地帯に造成されているため、全体が高低差のついた4面の敷地からなる。 校舎部分で2面、グラウンド2面で敷地内には階段やスロープが多数配置されている。 当地に移転してすでに40年が経過し、付随した施設も建設されたが、構内のスペースにはいまだに余裕がある。ちなみに富士宮北高校は、戦前は商業学校と工業学校の2校が並んでいたところを統合したという経緯があり、本校敷地の1.5倍くらいある。 単純に比較してもあまり意味が無い。 

* 校舎内部がおそろしく汚く、老朽化が進んでいる

教室といわず廊下、階段といわず、校舎の内部がおそろしくきたない。原因は簡単で掃除をしないからである。教室や階段の踊り場には小さな砂場が出来ていたし、わたぼこりも多かった。集めれば楽に座布団が作れるくらいであった。それでも一応上履きと下足の区別はあったが、守る者は少なかった。「スリッパで地上を歩いてはいけない」という張り紙を見たことがある。岡宮移転当時の校舎が現在も使用されているため、築40年になろうとしている校舎は老朽化がかなり進んでいる。雨が降れば渡り廊下に雨漏り受けのバケツが必ず用意される。しかし2002年には全教室に冷暖房が完備された。

* 不思議な構造

中校舎2階と北校舎2階を結ぶ渡り廊下には屋根が存在しない。そのため、雨天時には濡れる。中校舎3階の、2階の渡り廊下の真上になぜか扉が存在する。3年生の理数科の教室は異様に広い上、窓から山と海そして沼津のまちを眺望できる。

* 運動施設の充実

グラウンドが2面あるため、グラウンドを使用する部活動は広々と活動できる。西グラウンドのトラックは1周300m。 周囲のスペースも広く、ハンドボールのコートや空手の稽古場が余裕をもって配置されている。東グラウンドは野球のグラウンドとサッカーのコートである。ふたつの競技がほぼ同時にできる。テニスコート(軟式用4面、硬式用4面)、50mプール、格技場(剣道・柔道)など、その他の施設も充実している。トレーニングジムが存在し、自由に利用することができる。しかし屋外の施設が充実している一方で体育館は手狭であり、体育館を使用する運動部は窮屈である。

* 逍遥の杜と野外ステージ
o 逍遥の杜:学校敷地の南東隅に位置し、体育館や図書館(香陵記念館)の東側にある。斜面なので広さのほどはわかりにくいが、図書館をもう一棟らくにつくれる程度のスペースである。鬱蒼とした森のなかに池、水路、散策路とあずま屋などが配置され、ちょっとした庭園になっている。 いつ行っても人気(ひとけ)の少ない静かな空間である。ここの木々が図書館の閲覧室に豊かな緑の風景を提供している。 
o 野外ステージ:二箇所ある。ひとつは校舎に囲まれた中庭の西隅につくられたコンクリート製のステージで、香陵祭ではイベント会場のひとつになる。もうひとつは逍遥の杜に隣接した木立に囲まれたステージで、斜面を利用したつくりで、ステージの背面や左右の袖が垣根でできており、自然の雰囲気満点である。 逍遥の杜も二つの野外ステージともに広大な敷地があってはじめて実現できた施設といえる。 

* ニュートンのリンゴの木

英国の科学者、サー・アイザック・ニュートンが万有引力の法則を発見するきっかけになったとされるリンゴの木。その末裔にあたる木が本館の西側に植えられている。もとの木の枝を東京大学付属植物園から譲り受けて接ぎ木したもの。卒業生である長倉三郎氏のはからいで贈られた。ちなみに沼津市内の2,3の小中学校にもある。

* 香陵会館

略して「こうかん」と呼ばれる。1階は食堂であり、ここで昼食をとる生徒も多い。昼休みには食堂の入り口でパンを売っている。食堂内には飲み物の自動販売機も4台設置されている。2階は畳敷きの宿泊施設になっており、運動部の合宿に使われる。また、棋道部やカルタ部などここで活動する部活動も一部存在する。

* 図書館

沼中時代からの創立以来、図書館の整備には非常に力を入れ、当時全国トップレベルの分不相応なまでに充実した設備と蔵書を備えていたと伝えられている。太平洋戦争中においても、図書館の被害を最小限に食い止めるため、あまり戦火が及んでいない御殿場や小山などの生徒の自宅に蔵書を避難させていたという。そのような教室外の学習を重視する当時のアカデミックな校風が、文壇や学界に人材を輩出する土壌になったことは、想像に難くない。一階にはマントルピースを備えたラウンジがあり、そこにおいてあるビリヤードのセットなどとあいまって、文化の匂いの濃厚な空間が提供されていた。なお、ビリヤードは、幾何学の実体験(数学)ならびに運動エネルギー保存の法則の実証設備(物理)という、教育的効果が評価されたことによる。一応の存在理由があった。現在の岡宮の地に移ってからは、校舎の一部を図書室として細々と続けるしかなく、それまでのような立派な図書館はなかなか実現できなかったが、旧校舎を知る卒業生の図書館への思い入れは強く「後輩たちにも図書館を!」と願う卒業生たちの多大な援助を受け、1993年に、自習室やちょっとしたホールまで備えた大変立派な図書館「香陵記念館」が完成した。ちなみに建設費は8~9億円だそうだ。一県立高校でここまでの図書館を備えている学校は、おそらく全国でもそうそうないであろう。図書の貸し出しは全てバーコード管理となっており、生徒たちは気軽に利用することができる。ときは「活字離れ」であり、受験勉強に忙しいこともあって、この香陵記念館も例に漏れず、完成当初は生徒に有効活用されているとは言い難い状態であったようだ。しかし、貸出しシステムが確立され、話題の本や様々な種の雑誌などを次々に提供するようになり、利用者数は著しい伸びを見せた。図書館内に塾や予備校のような個人ブースを完備した自習室が設置されている。こちらは3年生を中心に比較的よく利用されているようである。また、近年では閲覧室にこたつが完備され、冬場はそこへ寝に来る人も少なくない。地下に広い階段教室や会議室を有しており、ここで授業が行われることもある。特に会議室は文系の地歴2科目選択者の地歴の授業や理系の倫理選択者の倫理の授業など、選択者が少ない科目の授業で比較的頻繁に使用されている。蔵書数は現在5万冊あまり。国立大学の図書館で1学部あたり20~25万冊が平均といわれており、沼津市立図書館でも42万冊であることを考えると、単純に蔵書数でいえば跳びぬけて充実しているというわけでもない。ただ、一般生徒が普段立ち入れない領域に、興味深い古書が多く存在している。

* 夏季空中自習室

受験勉強が本格化する夏休みの三年生は、予備校の講習で上京する者、山寺に籠もる者など各自が集中できる工夫をこらす。そうしたひとつの形として、休み期間中開放されていた教室で机を積み上げて自習に没頭する姿が毎年のようにみられた。1教室を1,2名で使用し、机を3段に積み上げすべての窓を全開にして自習する。 椅子が一体になった机の時代なので積み上げても安定がよかった。手をのばせば天井に届くような空中で、誰にも邪魔をされずに各自のペースで自習をすすめていた。汗になればその場で着替えてプールに向かう。そのままの恰好で机に向かう姿も見られた。

* 暗例(あんれい)

当校オリジナルの英語の副教材、正しくは暗誦用例文集、略して暗例(あんれい)と呼ばれている。いつの編集なのか知らないが、英語の教師が寄ってたかって例文を作ったものと推測される。入学直後に配られる。1~2行の短い英文が羅列してあるだけのもので、片っ端からひたすら暗記するという単純な教材。もともと簡素な装丁のもので、1年もたてばぼろぼろになる。勝手に内容を変えて楽しむこともあり、そこまでいったとすればこの教材は有効であろう。卒業後20~30年経っても結構憶えていたりする。 現在なお使用されおり(1990年代後半に抜本的な変更が行われており、冒頭のMy knife cuts better than yours.という例文は平成17年度で25,6才のOB・OGが最後である)、御殿場線の車内で一心不乱に憶えている姿を最近も見かけた。

* 短縮授業

災害時や大きな行事の際に、授業時間を短縮して行うもの。通常の1時限55分(現在は通常50分授業、詳しくは後述)のところを、50分(短縮 1)、45分(短縮2)、40分(短縮3)の3通りのレベルがあった。わずか5分刻みではあるが、授業自体をカットすることを避ける仕組みであった。

* 55分授業

2001年度まで火~金曜日は1時限が55分授業であった。月曜日は7時限にLHR(ロングホームルーム)を行うことから50分授業であった。 2002年以降、完全週5日制によって土曜日が休みとなったため、火~金曜日も授業時間確保のために7時限目を行う必要が生じたことから、毎日50分授業となった。当時(第2・4土曜日のみが休みであった頃)は「A週(土曜日が休みでない週)・B週(土曜日が休みである週)」というものが存在した。月曜日の5・6時限はA週は土曜日の1・2時限の科目、B週は土曜日の3・4時限の科目の授業を行っていた。科目ごとの授業時間数調整によるものである。

著名な卒業生

* 沼津中学
o 井上靖(小説家、文化勲章受章者、日本ペンクラブ第9代会長)
o 大岡信(詩人、文化勲章受章者、日本ペンクラブ第11代会長)
o 大賀典雄(ソニー元代表取締役会長、指揮者、東京フィルハーモニー交響楽団会長兼理事長)
o 芹沢光治良(小説家、日本ペンクラブ第5代会長)
o 長倉三郎(物理学者、文化勲章受章者、日本学士院院長)
o 森泉人(稲川会副理事長 六代目下田一家総長)
o 山田雄一(経営心理学者、元明治大学学長)
o 遠藤三郎(建設相(1958年)、元農林省畜産局長)
* 沼津東高校
o 佐藤雅彦(メディアプランナー、慶應義塾大学教授)
o 原田眞人(映画監督)
o 土居まさる(アナウンサー)
o 水野隆徳(国際エコノミスト)
o 水野涼子(SBS静岡放送アナウンサー)
o 大村朋宏(トータルテンボス:吉本興業)
o 斎藤衛(現沼津市市長)
o 渡辺周(現衆議院議員)
o 筑紫哲也(キャスター、東京から疎開、都立小山台高校へ転校)
o 室伏稔(伊藤忠商事会長)

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a christmas tree as media art 

セメスターも終わりにさしかかり、テストに集中しなければならないこの時期、毎年ものづくりをしている気がする。

去年は理科大の照明展に出展するためのものを作っていた。それがこれ。3色LEDが周期的に色を変えつつ、周囲の明るさによって、花が開いたり、閉じたりする花。名前をkzlightと名付けた。由来は省略。

今年も理科大の照明展に何をだそうかといろいろと考えていたのだけれど、結局いろいろあって断念。その代わりに東京大学の制作展に出展することになった。正確にいうと、知り合いとの共同制作という形をとった。

共同制作って書いてあるけれど、実際にアメリカでできることはかぎられていて、ただハードウェアを作って、送っただけ。あとはマイコンのプログラムの書き換え、デバッグくらいしかできなかった。こっちで簡単にできることを、回路の知識のない人に、しかも遠隔地でやってもらうというのも無茶な話だったけれども、なんとか会期に人にみせるものはできあがったらしい。(おれは実はまだあまり実物が動いているのをみていない。。。)

そんな中できあがった作品がこれ。
tree2.jpg

(共同制作者の日記より拝借)

作品の細かい説明はこちら


この作品は、顔検出や目の開閉チェックを行ってLED電飾が様々な光り方をするクリススツリーです。近づいたり離れたり、人数が増えたりすると、電飾の色が増え、そし近くに寄って目を閉じて祈ってみると、電飾全体がゆっくり点滅を始めます。その後、それまでに祈った回数に対応する個数のボールが「ログ」として光り続けています。

また、会場にある解説等では詳しくは言及していませんが、この作品には「平和への祈り」というコンセプトも含まれています。作品の制作過程で2人でクリスマスについて話している中でジョン・レノンの「Happy Christmas(War Is Over)」という曲にたどり着きました。作品タイトルもこの曲の導入部分を引用したものになっています。

クリスマスというと、特に日本の場合だと恋愛のイメージが強かったり、ついつい自分がその日幸せでいられるかどうかが重要になっているように思います。でも、時にはこんな日に争いのない世界のことや、平和について考えてみても良いのかもしれません。

祈った回数に応じて増えていく光るボールには、「たった1人では出来ることが限られているけれど、多くの人が1人1人心から願うことで、世界を変えることができるのでは?」という想いをこめています。




ただ、おれがジョンレノン好きなだけで、こんなコンセプト案を採用してくれてありがとう。

そして、余ったLED、マイコン、ケーブル類を使ってミニクリスマスツリーを作って、自分の部屋に飾ってみた。もみの木は、アメリカでは普通のスーパーにもうっているのだけれど、意外に小さいものはなかなかみつからなかった。それで、昨日たまたまいったtrader joe'sで見つけた12ドルの小さい木。alberta spruceというらしい。

christmas tree


うーん。もうちょっとLEDを足すか。。。。。

テーマ: ART - ジャンル: 学問・文化・芸術

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